『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が群馬県多野郡上野村の山中ヘ墜落した航空事故である。
この年、私は山口県光市にある新日鉄光工場
に新設される、電気炉の電気計装工事の責任者
として従事していた。
仕事は困難を極め、朝から夜中まで
約100人の作業員の現場管理を任されていた。
テレビ、ラジオの情報は遮断、唯々 工事完了を
目指していた為、この大変な事故を知ったのは
事故発生後、1週間たったころか、、、、、、
不謹慎ではあるが、『こんな、厳しい現場に飛行機
落ちてくれないか』と思ったほどきつい現場だった。
当時、休暇もとれず、家庭もほったらかしであった。
2歳にだった長男は今は38歳
事故で亡くなられた皆様のご冥福をお祈ります。